東山五条と祇園のちょうど中間点にある、
安井金比羅宮です。
東山通りから見ると、雑然としていて、あまり印象に残らないかも知れません。
通称:安井のこんぴらさん、または縁切り神社と呼ばれています。
ご祭神は、この方。
平安時代末期の帝、崇徳天皇または崇徳上皇、崇徳院。
1156年の保元の乱で、讃岐に敗流。かの地で亡くなりました。
理不尽な生い立ちと、異父弟:後白河の非情さに、
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん」と宣言。
日本の皇室を呪詛して亡くなり、怨霊化したと言い伝えられています。
平将門、菅原道真とともに日本三大怨霊とまで呼ばれることもあります。
何年か前の大河ドラマ平清盛では井浦新さんが演じていました。
断ちものをして亡くなられたので、
「断つ」「絶つ」として縁切りの神様として、今も縁切り祈願に参拝する人が絶えません。
形代(かたしろ)といわれるお札に、切りたい縁、結びたい縁を書いて、手に持ったまま、
絵馬の石碑を、表から裏にくぐり抜けます。
そして今度は裏から表にくぐり抜け、
石碑に形代を貼り付けます。(ちゃんと糊が用意されています)
誰かが貼り終わらないうちに、もう次の人がくぐり抜け始めます。
連休ともなると、すごい混雑で特に9月14日は崇徳院の命日なのでその前後、毎年の敬老の日を含む連休はすごい混雑で、
くぐり抜ける人が延々と列をなしています。
形代に書かれていることは、他人が読んでしまうこともあります。
「お酒と縁が切れますように」や「賭け事と縁が切れますように」という生活部分の縁切りから
「●●中学の●●は、この世から消えてなくなれ」
「●●営業所の●●は、嘘ばかりついているから、●●の舌を斬り断ってください」
などけっこう強烈な願掛けまであります。
もちろん男女の縁にまつわる願掛けも多くみられます。
「オンラインゲームやゲーム機と縁を切って、一生懸命に勉強が頑張れますように」
という健気な願掛けももちろん沢山あります。
みんな必死に生きてるから、いろんな切実な願いがあるのだと思います。
ただた~ちんは、他人に消えてもらって、そしたら自分がのし上がれるとか、自分がそのぶん楽になれる、というのは、
ちょっとわからないのです。
自分が切磋琢磨する、自分を磨くのと、他人は関係ないと思うから。
考え方は人それぞれですが、
た~ちんには、この絵馬の石碑と形代の束が、一個の生命体のように見えるときがあります。
人の様々な願いが、一体の生命体となって、うにょうにょワサワサと動きだし、
自分に覆いかぶさってきて、飲み込まれてしまうような、
変な感覚がときどきやってくる。
これは何なのでしょうか?
人の願い、人の業(ごう)というものが、制御されないまま、放たれると、
近くにいる人や関係ない人まで、飲みこんだり、傷つけたりすることを、
私は潜在的に怖がってるのかな❓️誰しも怖いでしょうけどね。
先日紹介した八坂庚申堂の
これも、なにかワサワサごあごあ動きだして、こちらを飲み込みにくるのでは❔
という恐怖をときどき感じて、近くを通りながら、内心、髪が逆立つようなゾワゾワ感におそわれるときがある。
安井金比羅宮のご祭神は、
崇徳上皇
大物主神
源頼政
の順になっています。
香川県の金比羅さんは、
主神が大物主神で、崇徳上皇は相殿としてお祀りされていて、
形式というか、神様のお祀られ方がちがいます。
安井金比羅宮の境内のくし塚、使い込んだ櫛をこの塚に埋めて供養するのだそうです。
ここは祇園や宮川町といった花街からも、すぐ近くです。
祇園甲部歌舞練場の裏手(東側)には崇徳院の廟所があります。
崇徳院の愛娼だった阿波内侍が、崇徳院の遺髪を埋めたのだそうです。
(崇徳天皇廟ではなく『陵』のほうは京都ではなく香川県にあります)
皇室を呪詛して崇徳院が亡くなってほどなく、皇室は政治の実権を、
台頭してきた階級、武士に奪われます。
崇徳院の予言が当たった形になりました。
明治維新の直前、崇徳院の御霊は、京都に戻され、
油小路、今出川を上がったところに白峰神宮が建立されます。
これは、皇室が、京都を崇徳院に捧げ、
自分たちは東京にいくが、皇室を御許しいただき、御守りいただきたかった意思表示とも言われています。
白峰神宮は蹴鞠の神社とも言われます。
白峰神宮ができる前、蹴鞠のお家元、飛鳥井家の邸宅だったからです。
飛鳥井家は京都テレビのアナウンサーになった方もいました。
その御姉様は、嵐山近くの曇華院門跡の尼門跡も勤めておられました。
白峰神宮の住所は、今でも上京区飛鳥井町です。