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た~ちんの♪週刊クックボンバー

清水寺は改装中⚠️(その5)幽霊子育て飴

2019/09/19 21:35 お買い物 子ども 旅行・お出かけ 趣味

幽霊子育て飴。

まっすぐ東に向かうと清水寺に突き当たる松原通り。

大和大路(といっても現在は狭いですが)と松原通りの合わさる角を

東に入ったところにある飴屋さん。

創業500年😵という「みなとや」さん。


そこの名物が、この

幽霊子育て飴。

原材料は、麦芽水飴と砂糖、このふたつのみ。


ときは慶長四年、

夜な夜な飴を買いにくる婦人がいたそうです。

ずいぶん熱心に毎晩あめを買いにくるご婦人がいたものだと

お店も感心していました。


しかし当時、ある婦人を病で葬ったことがありました。


亡骸は当時まだ庶民のお墓などなかった頃、

婦人は松原通りを突き当たった墓地に、

集合墓地なみに葬られたそうなのですが、


数日後、葬った後、土中から赤ちゃんの泣き声が聴こえると、


噂がひろまり、

思いきって土を掘りおこしてみると、

亡くなった奥さんが土中で赤ちゃんを産み落としており、

奥さんは亡くなっていましたが、

赤ちゃんは生きていて、あ~んあ~んと泣いていたそうです。


赤ちゃんが掘りおこされたあとは、

飴を買いにくるご婦人は、ぱったり来なくなりました。


土中でお腹を空かせていた赤ちゃんのために、

母親が毎晩、人目をしのんで飴を買いにきていたのであろうと偲ばれ、


以降、みなとやの飴は、


『幽霊子育て飴』として大いに広まって京名物になったそうです。


「みなとや」のある角は、むかしから六道の辻と言われます。

むかし、庶民にお墓などなかった頃、

京の多くの民は、今の清水寺付近の山々に、

亡骸を捨てに来ていたといいます。


そのために通られた道が松原通りです。


庶民に仏教によるお葬式が浸透する前の時代。


極楽往生はまた一部の民衆にしか知られてなくて、


亡くなった人は、六道の辻から、

6方向に旅立ったと考えられていました。

その6方向とは、

天、

人、

修羅、

畜生、

餓鬼、

地獄。

という6方向です。

我々人間は、幸いにして(?)上から2番目の「人」ですが、

次に生まれてくるときは、

この六つのどこに生まれ代わるか、わからないのだそうです。


お盆にご先祖さまを家に招くといいますが、

亡くなったご先祖は、六つの中のどこにいらっしゃるか、わかりません。


個別に呼びようがないので、

京都では盆の入りに、「迎え鐘」というのをつきます。

この辻が、

生けとし生けるものの、

次の輪廻のための分かれ道となっていて、

6方向に道が別れていると考えられていました。



六道の辻の近くにある六道珍皇寺というお寺に

ご先祖さまが無事にお盆に家に帰って来れますように、

「迎え鐘」をつきにいきます。

子孫がつく、この鐘の音を聴いて、

六道の中のどこかに行ってはるご先祖さまが

「おー、こっちか?こっちか!」

と、無事にお盆に家に帰ってきはるそうです。


六道珍皇寺には閻魔さまも、いはります。

(中は撮れませんが)

六道珍皇寺にも六道の辻の石碑があります。


松原通りを突き当たると、清水寺ですが、

この山手の住所は、清水寺の境内以外は、

東山区鳥辺野といいます。

いわば風葬の地、

鳥葬の地だったのです。


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