幽霊子育て飴。
まっすぐ東に向かうと清水寺に突き当たる松原通り。
大和大路(といっても現在は狭いですが)と松原通りの合わさる角を
東に入ったところにある飴屋さん。
創業500年😵という「みなとや」さん。
そこの名物が、この
幽霊子育て飴。
原材料は、麦芽水飴と砂糖、このふたつのみ。
ときは慶長四年、
夜な夜な飴を買いにくる婦人がいたそうです。
ずいぶん熱心に毎晩あめを買いにくるご婦人がいたものだと
お店も感心していました。
しかし当時、ある婦人を病で葬ったことがありました。
亡骸は当時まだ庶民のお墓などなかった頃、
婦人は松原通りを突き当たった墓地に、
集合墓地なみに葬られたそうなのですが、
数日後、葬った後、土中から赤ちゃんの泣き声が聴こえると、
噂がひろまり、
思いきって土を掘りおこしてみると、
亡くなった奥さんが土中で赤ちゃんを産み落としており、
奥さんは亡くなっていましたが、
赤ちゃんは生きていて、あ~んあ~んと泣いていたそうです。
赤ちゃんが掘りおこされたあとは、
飴を買いにくるご婦人は、ぱったり来なくなりました。
土中でお腹を空かせていた赤ちゃんのために、
母親が毎晩、人目をしのんで飴を買いにきていたのであろうと偲ばれ、
以降、みなとやの飴は、
『幽霊子育て飴』として大いに広まって京名物になったそうです。
「みなとや」のある角は、むかしから六道の辻と言われます。
むかし、庶民にお墓などなかった頃、
京の多くの民は、今の清水寺付近の山々に、
亡骸を捨てに来ていたといいます。
そのために通られた道が松原通りです。
庶民に仏教によるお葬式が浸透する前の時代。
極楽往生はまた一部の民衆にしか知られてなくて、
亡くなった人は、六道の辻から、
6方向に旅立ったと考えられていました。
その6方向とは、
天、
人、
修羅、
畜生、
餓鬼、
地獄。
という6方向です。
我々人間は、幸いにして(?)上から2番目の「人」ですが、
次に生まれてくるときは、
この六つのどこに生まれ代わるか、わからないのだそうです。
お盆にご先祖さまを家に招くといいますが、
亡くなったご先祖は、六つの中のどこにいらっしゃるか、わかりません。
個別に呼びようがないので、
京都では盆の入りに、「迎え鐘」というのをつきます。
この辻が、
生けとし生けるものの、
次の輪廻のための分かれ道となっていて、
6方向に道が別れていると考えられていました。
六道の辻の近くにある六道珍皇寺というお寺に
ご先祖さまが無事にお盆に家に帰って来れますように、
「迎え鐘」をつきにいきます。
子孫がつく、この鐘の音を聴いて、
六道の中のどこかに行ってはるご先祖さまが
「おー、こっちか?こっちか!」
と、無事にお盆に家に帰ってきはるそうです。
六道珍皇寺には閻魔さまも、いはります。
(中は撮れませんが)
六道珍皇寺にも六道の辻の石碑があります。
松原通りを突き当たると、清水寺ですが、
この山手の住所は、清水寺の境内以外は、
東山区鳥辺野といいます。
いわば風葬の地、
鳥葬の地だったのです。