た~ちんの♪週刊クックボンバー

創業元禄8年(1695年)せいろ蕎麦ちく満(堺市宿院)

2020/02/03 07:35 昼ごはん お酒・おつまみ 旅行・お出かけ 趣味

大阪府の堺市、宿院にある蕎麦どころ『ちく満(ちくま)』です。

阪堺電車🚉の宿院電停からすぐです。

宿院という地名は、住吉大社の御旅所(神様の休憩所、お祭りで御神輿で外へ出られた時に、御神輿ごとお休みされる場所。)

があったせいで、ついたと言われています。

住吉大社の宿院頓宮への灯籠から反対側です。

宿院電停の西側です。

東側の玄関です。

そば粉の製造所と住居と店舗が一緒になった建物。

その中に分かりにくい店舗入口があります。

こちらは、西側の玄関です。

こちらのほうが蕎麦屋の入口っぽいですかね。

中は純和風。

全室、全席、座敷です。

最近、値上げになりました。

基本メニューは、せいろ蕎麦だけです。

15時台~がいちばん空いています。

昼時、18時台、節分👹などは、かなり混雑します。

(本日、定休日の月曜日ですが、節分で営業されているかは、電話☎️で確認してください。)

せいろ蕎麦1.5斤です。

蒸されたせいろごと出てきます。

とっくり🍶に熱々のつゆが入っています。

お蕎麦も熱々です。

お椀に熱々のつゆを注いで、生卵を溶いて食べます。


蒸し蕎麦というのは、現在では『ゆで蕎麦』に比べて廃れた食べ方です。


今では関西の一部にしか残っていない食べ方です。


コシは、ある時とない時があります。


せいろで蒸していますが、蕎麦湯はあります。

https://s.tabelog.com/osaka/A2705/A270501/27003013/



蕎麦湯は、言わなくても出てきます。

『かまくら、お願いしま~す!』

という仲居さんの声が響くと、

間もなく蕎麦湯が出てくると思ってください。

つまり仲居さんは、こちらの食べ終わり具合を、観察👁️されているのです。

蕎麦湯が来ました。

仲居さんの足下がちょっと写っています。

元禄8年(1695年)というと

赤穂浪士の討ち入りの7年前。

大和川🏞️が堺に付け替えられる(宝永2年、1705年)まだ10年前です。


今年で創業325年ということになります。

堺の町というか、港は、

大和川の付け替えによって、水深♒️が浅くなり、

(河口が、もともとはずっと北にある淀川に合流していましたが、堺の海岸に移動させました。

結果として河内平野が出現し、河内地方は日本最大の綿花の産地となり、大阪は綿織物の町として発展。

反対に河が引っ越してきた堺は廃れました。)

港機能が損なわれ、町もかなり変化したといいます。

お隣が、千利休の屋敷跡です。

現在は裏千家が所有していますが、

屋敷そのものは、ありません。

利休の最初の夫人との子の系統の、

千家本家も、大和川付け替えの頃には、もう堺になかったそうです。

利休屋敷跡は、土日は堺市のボランティアガイドさんが、

頼まなくてもガイドしてくださいます。

✉️💌伝言板

時花菜さま🐝

明智地方は、岩村城跡⛰️(女城主関連で)と

岩村の古い商店街💈(朝ドラ関連で)も行きましたが、

明智光秀の面影は、まったく感じていませんでした。

明知鉄道🚞も全線乗車しましたし、

大正村👘も訪れたのですが、

明智光秀のことは、当時、まったく頭にありませんでした。

たくさん見所ができていそうですね。

ただ、割りと健脚コースに見えますので、

日帰りバスツアー🚍️なんかは、出ないかも知れないですね。


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