大阪府の堺市、宿院にある蕎麦どころ『ちく満(ちくま)』です。
阪堺電車🚉の宿院電停からすぐです。
宿院という地名は、住吉大社の御旅所(神様の休憩所、お祭りで御神輿で外へ出られた時に、御神輿ごとお休みされる場所。)
があったせいで、ついたと言われています。
住吉大社の宿院頓宮への灯籠から反対側です。
宿院電停の西側です。
東側の玄関です。
そば粉の製造所と住居と店舗が一緒になった建物。
その中に分かりにくい店舗入口があります。
こちらは、西側の玄関です。
こちらのほうが蕎麦屋の入口っぽいですかね。
中は純和風。
全室、全席、座敷です。
最近、値上げになりました。
基本メニューは、せいろ蕎麦だけです。
15時台~がいちばん空いています。
昼時、18時台、節分👹などは、かなり混雑します。
(本日、定休日の月曜日ですが、節分で営業されているかは、電話☎️で確認してください。)
せいろ蕎麦1.5斤です。
蒸されたせいろごと出てきます。
とっくり🍶に熱々のつゆが入っています。
お蕎麦も熱々です。
お椀に熱々のつゆを注いで、生卵を溶いて食べます。
蒸し蕎麦というのは、現在では『ゆで蕎麦』に比べて廃れた食べ方です。
今では関西の一部にしか残っていない食べ方です。
コシは、ある時とない時があります。
せいろで蒸していますが、蕎麦湯はあります。
蕎麦湯は、言わなくても出てきます。
『かまくら、お願いしま~す!』
という仲居さんの声が響くと、
間もなく蕎麦湯が出てくると思ってください。
つまり仲居さんは、こちらの食べ終わり具合を、観察👁️されているのです。
蕎麦湯が来ました。
仲居さんの足下がちょっと写っています。
元禄8年(1695年)というと
赤穂浪士の討ち入りの7年前。
大和川🏞️が堺に付け替えられる(宝永2年、1705年)まだ10年前です。
今年で創業325年ということになります。
堺の町というか、港は、
大和川の付け替えによって、水深♒️が浅くなり、
(河口が、もともとはずっと北にある淀川に合流していましたが、堺の海岸に移動させました。
結果として河内平野が出現し、河内地方は日本最大の綿花の産地となり、大阪は綿織物の町として発展。
反対に河が引っ越してきた堺は廃れました。)
港機能が損なわれ、町もかなり変化したといいます。
お隣が、千利休の屋敷跡です。
現在は裏千家が所有していますが、
屋敷そのものは、ありません。
利休の最初の夫人との子の系統の、
千家本家も、大和川付け替えの頃には、もう堺になかったそうです。
利休屋敷跡は、土日は堺市のボランティアガイドさんが、
頼まなくてもガイドしてくださいます。
✉️💌伝言板
時花菜さま🐝
明智地方は、岩村城跡⛰️(女城主関連で)と
岩村の古い商店街💈(朝ドラ関連で)も行きましたが、
明智光秀の面影は、まったく感じていませんでした。
明知鉄道🚞も全線乗車しましたし、
大正村👘も訪れたのですが、
明智光秀のことは、当時、まったく頭にありませんでした。
たくさん見所ができていそうですね。
ただ、割りと健脚コースに見えますので、
日帰りバスツアー🚍️なんかは、出ないかも知れないですね。