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週刊た~ちん♪

新選組めぐり、壬生、島原🎯

2021/01/08 00:34 朝ごはん 昼ごはん 晩ごはん お菓子 イベント お買い物 旅行・お出かけ 趣味

お正月、三日間京都に居た合間合間に、幕末史跡をいくつか巡ってきました。

チェックアウトの日の朝ごはん。




足利3将軍梟首事件

嵐電「等持院駅」から歩いて5分ぐらいのお寺、臨済宗天龍寺派「等持院」です。

建てたのは、南北朝時代の足利尊氏、等持院殿というのは足利尊氏その人の院号です。

その等持院が幕末とどう関係があるのかというと、

このお寺には足利代々の将軍たちのお木像が安置されているのです。

※義量、義栄のだけありません。

(三代義満:鹿苑院殿)と(八代義政:慈照院殿)

このうち初代尊氏、二代義詮、三代義満の木像の首から上だけが盗難にあいます。

盗まれてどうなったかというと、なんと三条河原に3クビ揃って晒されてしまったのでした。

1863年2月22日のことです。

南朝に弓ひいた朝敵としての罪状を書き記されたいわば倒幕テロの一種。

くしくも時の将軍徳川家茂の上洛に合わせた皮肉的な行為でした。

(家茂は2月13日に江戸を出立、3月4日に二条城🏯に到着しました。)

その2月22日は、後に新撰組となる、江戸で集められた浪士隊が、

将軍家茂警護の目的で京都に到着した日でもありました👣。


浪士隊、壬生村に到着

京都に着いた浪士隊は、京都平安京の町中からやや西に離れた壬生村一帯に分宿します。

(壬生寺)

現在はいろいろ建て込んでますが、当時、壬生寺の境内は広々としていました。

壬生寺だけでなく、

壬生村の郷士でもあった八木源之丞宅↓

同じく壬生村の郷士の前川邸↓

などに宿をとります。宿を引き受けた郷士たちは、京都所司代の命令で嫌々引き受けたそうです。

近藤たち試衛館の連中は、八木邸に納まりました。


清河八郎の勤皇演説と、芹沢派と近藤派の京都残留

浪士隊旗揚げの本人「清河八郎」が、幕府に予算を出させておいて、

浪士隊を尊皇攘夷という真逆の目的に使うと言う無茶を言い出したのが、新徳寺↓。

拝観はできませんが、座禅だけ月に一度できる機会が設けられています。

新徳寺は壬生寺の真向かいです。


初代局長主座、芹沢鴨と花街島原

初代局長になった芹沢鴨、🍶酒を飲むとなにかと困った人だったそうですが、

彼が最初に暴れた島原花街のお茶屋で置屋も兼ねる「輪違屋」は、まだ島原に存在しています。

※もちろん妓楼としての営業はしてません。

(島原大門)

浅田次郎原作で映画にもなった『輪違屋糸里』では音羽太夫の態度に、芹沢が激怒したことになっています。

島原の太夫というと🎎朝廷から、正五位の官位を授かっており、

客が太夫を待たせることは有り得ず、すべての客が揃ってからしか、太夫は登楼しませんでした。

芹沢が、🕗️遅れて輪違屋に到着しても、まだ音羽太夫は登楼していないことでモメたことになっています。

http://wachigaiya.com/

実際にはもっと無茶苦茶な話で、

輪違屋ほど格式のある店は、店駕籠(店の所有する駕籠)か、店の手配した駕籠で、お客は訪店するのが慣わしだったのですが、

あろうことか芹沢は初来店にも関わらず徒歩で来店して、相手にされなかったので、

無理やり店に上がり込み、刀振り回して襖や障子を斬り散らかしたというのです。

https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_3014/

島原には今こんなスーパー銭湯♨️まであります。


あちこちで無茶苦茶していた芹沢鴨とその一派を、近藤や土方らは排除を画策しますが、

芹沢は神道無念流の達人、事実、人を大根のように斬り殺しているのを、土方も見ているので、まともに戦うのはリスクが高すぎます。


そこで『八・一八の政変』(御所周辺で会津藩&薩摩藩が、長州藩と戦い、長州を京都から追放した事件。新撰組も会津藩サイドで微力に参加。)の会津藩からの褒賞金で、

島原の最高格お茶屋「角屋」で慰労会を催すことにしました。

http://sumiyaho.sakura.ne.jp/

お茶屋では原則お泊まりはありませんので、会が終わると皆、屯所に帰ることになります。

角屋で芹沢にしこたま呑ませて、屯所に帰って鼾かいて寝てるところを叩っ斬る作戦です。

https://youtu.be/KmpzjJGvTA8



芹沢鴨暗殺事件(八木邸)

壬生の屯所になってて、芹沢の寝起きしてる八木邸で夜中に決行。

1863年9月18日未明、芹沢わずか七ヶ月間の新撰組局長でした。

八木邸では、お抹茶と屯所餅がついた説明コースがあって、中は撮影できませんが、15分~20分の説明と案内を受けられます。

説明はほとんどが芹沢暗殺事件についてです。

刀傷、最期に芹沢が足をとられて転んだという文机もそのままあります。

https://www.mibu-yagike.jp/sp/

芹沢鴨のお墓は壬生村境内にありますが、墓石は傷みが激しく、新しい墓石になっています。

勘定方ですが切腹することになった、

河合者三郎のお墓も壬生寺です。


山南敬介の切腹と、古高俊太郎の捕縛(前川邸)

山南敬介が切腹したのは、八木邸の東隣「前川邸」のほうです。

山南敬介のお墓だけ、前川邸から東に綾小路を200mいった光縁寺にあります(非公開)。

勤皇方の寺侍「古高俊太郎」が拷問された蔵もまだ、

前川邸には残っていました(入れませんが)。

前川邸は、土日のみ新撰組グッズを扱う土産物屋さんが塀の中にオープンしますが、奥までは入れないのです。


古高俊太郎アジト「枡屋」跡

古高俊太郎は、四条の木屋町通上がる一筋目西入るの場所で、

道具屋を営んでいましたが、実は長州主導の京洛放火未遂事件に大きく関わっており、

拷問による彼の自白が1864年7月8日の池田屋事件を呼ぶことになります。

古高俊太郎の道具屋「枡屋」は、昭和7年からは仕出し屋さんになっていて、

中で食事もできます。

汢(ぬた)とお漬物以外は熱々で出てくる利久弁当が有名。

若い板前さんがなにか叱られていて、

ダーリンが『アイフルのCMの紺野みたいや。』と言ってました。

https://www.fujingaho.jp/gourmet/a76601/shirukou/

志る幸は、ビアホール「ミュンヘン」「ハウスミュンヘン」のすぐ隣です。


油小路事件

新撰組最後の暗殺事件といえば、

一度は参謀として新撰組入りしたにも関わらず、御陵禁裏衛士(ごりょうきんりえじ)として別派旗揚げした、

伊東甲子太郎の暗殺と、その後、駆けつけた御陵禁裏衛士たちを斬りまくった

1867年12月13日の、油小路木津屋橋事件ですね。

1867年10月14日、二条城において、

最後の将軍徳川慶喜が大政奉還を上奏。

その約2ヶ月後、

御陵禁裏衛士の高台寺屯所から徒歩で近藤勇宅に呼ばれた伊東は、

その帰路、油小路木津屋橋の角で新撰組の待ち伏せに遭い

斬殺されました。

その後、朝廷から五ヶ条の御誓文が出ると、新撰組は京都から退去することになり、

鳥羽伏見の戦い、大坂城、甲陽鎮武隊を経て、バラバラになり、

近藤は千葉の流山で官軍に投降。板橋で斬首されます。

土方は奥羽列藩同盟を経て、函館(箱館)に渡り、

蝦夷共和国政府の陸軍奉行並となって戦死しています。

新撰組隊士のお墓で、京都にあるのは芹沢派と山南敬介、河合者三郎ぐらいなのです。




おせちもいいけどカレーもね🍛

年末、黒門市場に挨拶回りをしてきたときに、

ニューダルニーさんでカレーを食べたついでに

持って帰ったカレーで

カレーうどんをしました。

ヨっさんも奥さんも元気にしてはりました。

2~3年前にレトルトも出ましたが、手づくりの袋入りのカレーのほうがお勧めです。

1週間ぐらい持ちます。

https://s.tabelog.com/osaka/A2701/A270202/27002762/

満州の大連から引き揚げてこられて、戦後すぐ開業しはりました。

今のヨっさんは2代目です。

ダルニーは大連のことです。


これはハインツのシーフードカレー。

そして七草粥。






💌yukiまむ様。

つくれぽ、ありがとうございます。

暖まりそうですね😊。



💌J爺Jさま。

超豪華な七草粥ですね。

😷マスクしてのランニングたいへんですね。

雪中でのランニングは、あぶないですね。アイゼンつけて走るわけにもいきませんし。



💌ミカ☆ヅキ様。

すいません。

ながくなってしまいました😣。

お暇なときでも読んでやってください。




みなさま、また寒波が来ます。

暖かくして、お過ごしください。

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